2018年6月30日土曜日

北東アジアに平和を


北東アジアに平和を

2018年韓国平昌冬のオリンピックを契機に南北朝鮮の友好関係が拓かれ4月には歴史的と言われる「南北首脳会談」が実現しました。この時の板門店宣言は朝鮮半島の非核化による「平和・繁栄・統一」を約束するものでした。
これは、昨年来北朝鮮が核・ミサイルによるアメリカ本土攻撃を目標の実験を繰り返し、アメリカは軍事的威嚇で応えた一触即発の事態を避ける変化を意味するものでした。今年6月の米朝首脳会談において「北朝鮮の非核化と米国の北朝鮮安全保障」の確認・約束にこれが発展しました。早速アメリカは米韓合同軍事演習を中止し、北朝鮮は会談以前に核実験施設を爆破しました。この米朝会談をうけて、韓国文大統領は「これは始まりであり、今後も数多くの困難があるだろうが、二度と引き返しません。この大胆な旅程を決して放棄しません。歴史は行動して挑戦する人々の記録だ」と応じました。(ここで文大統領が「国民とか市民とか人民」と言わず「人びと」と言った意味に私は注目します)
 この一連の変化は北東アジアにおける戦争の火種を無くす歴史的意味をもたらすものとなり、1950年に始まった朝鮮戦争の終結も時間の問題となりました。やがて、韓国と北朝鮮が同一民族として統一国家を形成する自然の成り行きが実現すれば、第二次世界大戦における米ソの南北分断支配からの脱出を果すことになり、そのことは真の意味で第二次世界大戦の終結を意味し、同時に世界平和と世界歴史にとって大きな前進となります。
この朝鮮半島の変化には韓国の文在寅大統領の陰に陽にの働きが忘れられません。「ならず者国家」の北朝鮮金正恩首脳を韓国の板門店に招き入れ、あの「平和の家」会談がなければ今現在の世界は開かれていません。 
 米朝会談の約束が反故になりかけた時に両首脳を説得してこれを歴史的会談に成功させたのは文大統領でした。
 こうして北東アジアの平和を展望する時の要になっている文在寅韓国大統領はどのようにして生まれたでしょうか。
 朴槿恵前大統領の国政私物化に怒った100万人(キャンドル革命)が文大統領の誕生を導きました。これに象徴的に現われた韓国の人びと間に広がる民主主義と平和のための行動は、朝鮮戦争休戦状態脱皮の願いを背景に根深く育っていて、日本に「憲法9条にノーベル平和賞を」の運動が起こればいち早く、これを支持し、協力する国会議員を含む民間の運動が起きます。東アジア平和研究所の尹載善さんは「憲法9条は北東アジアの平和の鍵」だといって、ここ2~3年韓国で「北東アジア平和フォーラム」を開いて日本の平和運動に係わる政治家、学者、一般市民に連帯の話を促しています。
 そのフォーラムで話された「北東アジアの平和」への夢が現実のものとなりつつあるのです。
 朝鮮半島のとりわけ韓国の人びとの平和への願いと行動が世界を変えつつあります。
文大統領が金委員長を板門店の「平和の家」に招き入れる場面を見守ろうと集まっていた韓国の一市民女性がそこで涙していた映像を私は忘れられません。  (2018,6,30 落合正行) 

2018年6月16日土曜日

3000万人署名・チラシ配付への経過報告


3000万人署名・チラシ配付の経過報告

●市民アクション発行の「平和憲法を変えたらどうなるの」のカラーチラシはきれいな色で内容もわかりやすかったので、そのチラシを片面にして、もう片面は①署名用紙バージョン②3000万人署名の呼びかけ人紹介バージョンをそれぞれ15000枚ずつ、合せて30000枚をカラー印刷で業者に発注しました。まとめて安く印刷し、主に相模原地域の希望された団体や個人にお分けして、無理のない範囲でカンパをいただきました。私たちも地元の皆さんと一緒に、テイッシュに折り込んで街宣で配ったり、戸別配布したり、親戚や知人・友人に手渡したり送ったり。署名用紙つきのチラシはすで全部配り終え、呼びかけ人つきのチラシも残りわずかとなっています。

3000万人署名は、すでにそれぞれの地域で取り組んでいる方が多いと思いましたが、ニュース15号で署名用紙を同封して呼びかけたところ、多くの方が協力してくださり、619日現在501筆が集まりました。全国では5月末で1350万筆が集まり、1回目の提出がなされました。改憲発議を止めていくためにも、さらに署名の輪を広げていきましょう。 

2018年6月5日火曜日

憲法記念日相模大野大街宣


憲法記念日相模大野大街宣

2018年53日(木)10時~12時、相模大野駅デッキで大宣伝行動を行いました(主催:「戦争いやだ!9条守れ!相模原連絡会」)。若者の団体も含む26団体から93名が集い、賑やかにチラシやテイッシュを配り、シール投票も行いました。3000万署名は183筆、ヒバクシャ署名は4筆集まりました。
 県議会議員3名(立憲、共産、民進)、市議会議員2名(共産、社民)、国会議員秘書1名(無所属)もリレートークに参加され、市民と野党が心一つに、安倍改憲NO!の声を挙げました。楽器に合わせて、皆で元気に「いいじゃん!日本の憲法」をコールすると、注目してくれる人、リズムをとりながら道ゆく人もいて楽しい街宣でした。(岡田)

2018年6月4日月曜日

沖縄・辺野古へのツアーに参加して


沖縄・辺野古へのツアーに参加して

写真:抗議船に乗っているところ
沖縄の辺野古で強行される米軍基地建設に反対するツアーに参加して来ました。
1人の女性が呼びかけた34日(2018年42023日)のツアーでした。
今回はその呼び掛けに女性を知る人が、また、呼び掛け合って20人ほどが参加しました。
女性は沖縄の人たちの暮らしを壊す軍事基地建設が許せないのでした。
沖縄の人たちの反対の声を押しつぶして強行する政府が許せないのでした。
女性が知り合いの旅行社の人に頼んで、全く個人的に企画した旅行でした。
初日は那覇空港からバスガイドさんの説明を聞きながら直接辺野古の民宿に行きました。
沖縄の経済は基地によって支えられているように思っている人もいるかもしれませんが、それは全く逆でした。基地があるために逆に思うような経済発展を遂げられないでいるのでした。そして、日常的に様々な基地被害を受けてもいるのでした。爆撃機やヘリコプターなどの爆音被害、寝たばかりの幼児を起こしてしまう爆音。いつ墜落するかもしれない不安。校庭に、屋根に繰り返し落ちてくる爆撃機の部品。兵士による交通事故や犯罪(殺人・強盗・強姦など)による生活破壊。他国を攻撃する基地があるためにいつまた他国から攻撃目標にされるかもしれない危険。沖縄の人々はそう言う不安や危険に日常的にさらされているのでした。 

民宿の主人はそう言う沖縄の置かれた理不尽なありように心から反対し、自分の人生の全てをかけていると言ってもいい人でした。高江のオスプレイ用ヘリパット建設はとうとう国の力で強行されてしまいました。その怒りが彼を民宿の主人にしているのでした。民宿そのものが戦いの現場なのでした
旅行の計画は盛りだくさんでした。工事を阻止するための座り込み支援。工事現場への抗議船に乗る。工事によって壊され、失われるであろうジュゴンの住む海、縄文時代から生き続けるといわれるサンゴ礁をグラスボートで見る、沖縄戦を描いた丸木俊・位里夫妻の絵を所蔵する佐喜真美術館の見学、戦争が追い詰めた悲惨なガマの現場、平和祈念館、戦死者のすべての人の名前を刻んだ摩文仁の丘の礎、平和資料館見学、国際通りの夜の交流会。
沖縄に学び、沖縄の痛みに触れる旅でした。
沖縄の自然を破壊し、沖縄の人の暮らしを打ちのめし、軍事基地建設を強行する日本政府の誤りを認識する旅でした。(石垣)


2018年6月1日金曜日

かながわ・安保法制違憲訴訟 第6回 を 傍聴してきました!




2018年4月26日、以前と様子が変わり、裁判所の中に入るために長蛇の列。これは、3/1から導入された「手荷物検査」のためでした。
横浜地裁で一番大きい101号法廷。今回、一般傍聴席は44席、傍聴希望者は103人!抽選をくぐり抜け、傍聴できた法廷では、声がよく聞こえない状態。原告からの意見陳述のみで、被告側からは一言もありませんでした。内海旬子さんという、ヨルダン国内に避難しているシリア難民の障碍者の支援をしている方からの意見陳述がありました。
写真は、裁判の後の集会での様子です 
左:内海旬子さん、右:岡田尚弁護士
安倍首相が安保法案提案の理由として「NGOを護る」ことを挙げたことはとんでもない話で、武器を持った自衛隊が警護に来るようなことがあれば、かえって関係者を危険にさらすことになる、と。そして、今後の日本のあり方を左右するこの裁判において、慎重な判断をしてほしいと結ばれました。
本当に、裁判官には、自分の出世を第一に考えるのではなく、まっとうな判断を下してほしいものですね! 次回の法廷は、816()11時から開廷します。
 (集合時間10時、横浜地裁)